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《人生はビギナーズ》のビロードうさぎ

知人の一推し映画。冒頭、オリヴァーが仮装パーティでアナと出会って仲よくなってダンスやトランプを楽しんでいたシーンだけで涙がでてきた。さらに、車で一緒に帰るところでも。なぜ???? なんでいきなりこんなシーンで泣きたくなるの? 自分でも分からない。

以下、ネタバレありです。

38歳のオリヴァーは、両親との過去に囚われてしまって、うまく生きていくことができないでいた。しかし父親の死の喪失感のなかでアンと出会い、やっぱり色々悩むけど、末期ガンだった父親の晩年の生き方を見習って自分に素直になって、さあこれからどうする?、というお話。最近観た『ギルバート・グレイプ』と似ていると思った。母なる女神が現れて主人公を救済するから。正確には救済したかどうかわからないけど、双方とも、少なくとも新しい人生の始まりを与えてた。

余談だが、オンライン配信は字幕版だけしかなくて、どうしても吹替版を観たかったのでDVDを買うしかない。でもDVDは絶版。だからレンタル落ちの中古を買ったのだが、届いてびっくり、とてもレンタル落ちとは思えない美品だった。

母親が亡くなってしばらく経ってから75歳の父親がゲイとだと告白した。父親がいうには、母親のことはずっと愛していた。でも、気持ちの上だけのゲイで終わらせたくないので、これからはゲイを楽しみたい、とのこと。オリヴァーは、子どものころ、夫婦のキスが普通の男女のキスより淡泊すぎたり、母親が父に関する質問を受け付けなかったり、母親の言動がどこかしら変だったのは、父がゲイのせいだったからと理解した。

しかし4年後、父親の終末医療生活に付き添っていて、父親が明らかにした事実はちがっていた。これにはオリヴァーともども、びっくり仰天。では両親の淡泊な夫婦関係の本当の理由は何だったのだろう?

ゲイの政治家ハーヴェイ・ミルクが暗殺されたとき、美術館長だった父は、ぬいぐるみの人形展を開催して、絵本『ビロードうさぎ』の文章を大きくして壁に掲げた。「本物」になることについてのぬいぐるみのウサギと馬の問答だった。

うさぎはおもちゃ箱のなかで「本物になるってどういうこと?」と長老の馬に聞いた。馬は「長い時間がかかる。身体はボロボロになる。でも本物になったら、分かってくれる人には外見なんて関係ない」(超意訳)

『ビロードうさぎ』の話は知らなかったので、絵本の読み聞かせをYoutubeで聞いた。上記の会話のあとは、以下のような話だった。

ぬいぐるみのうさぎが小さい男の子に気に入られていつも一緒に寝ているうちに、小さい男の子から「本物のうさぎ」と言われた。うさぎは本物になった気でいたが、庭で生身のうさぎたちと出合って、まだ本物にはなっていないことを悟った。でも、ずっと小さい男の子に寄り添い、擦り切れてボロボロになるまで愛された挙句、伝染病にかかった小さい男の子と病床に一緒にいた。ところが男の子の病気が治ると消毒のために焼かれることになった。そこに子供部屋の妖精がやってきて、本物(生身のウサギ)にしてくれたという話。(でも「ピノキオ」とちがって、男の子はそのウサギが大好きなぬいぐるみだったとは気づかない。本物になったウサギのしあわせってなんだろう?って思ってしまう。)

馬は擦り切れてボロボロになっていたから、本物になりかけたのかもしれない。でも馬はおもちゃ箱にいるから「本物」にはなっていない。となると、馬のいう「本物」とは、ぬいぐるみから生身のウサギに生まれ変わることではない。馬のいう「本物」とは、小さい男の子と心を交わしたかどうか、本当に愛されたおもちゃだったかどうかということではないだろうか。でもそのためには、ぬいぐるみのほうでも身を削るくらいの犠牲も伴うということだ。

オリヴァーは、この絵本を知っていた。読み聞かせてもらったかもしれない。父が美術館で展示会を開いた背景には、ハーヴェイ・ミルクの犠牲によってゲイはやがて市民権を得られる、と言いたかったのだろう。が、そんなことにオリヴァーが気づくのは、父がゲイだとカミングアウトしてからだ。当時13歳だったはずのオリヴァーが子ども心に美術館の展示を覚えていたのは、ゲイとは関係なく、この絵本をよく知っていたからだ。

だらかオリヴァーは「本物」なることは、おもちゃの持ち主から愛されることだと知っていた。でも父が伝えたかった本当のところは、愛されることによる苦しさではないだろうか。母親から愛されることの苦しさ、つまりいくら努力してもゲイが治らない。ビロードうさぎの言う「本物」は、子どもが愛して止まない対象として、愛を受け止めなくてはいけない。そしてそれと同等の愛を子どもに与え続けなければならない。それが身を削るということだろう。

やがてオリヴァーは、父親がゲイの恋人アンディについて、父親が彼の恋人のうちの一人であることを自認していることを知る。しかしナンバーワンだとも自認している。相手に求めるのではなくて、相手のことを全て受け入れたうえで、自ら愛をあたえることが、愛することであることを知る。ぬいぐるみのうさぎの精神だ。親父の死が安らかだったのは、自分が楽しんだだけでなく、人に愛を与えたから。それに気づいた。

オリバーは、人生の幸せとは何かと考えたとき、相手に与えることではなくて、相手に求めてしまった(まあ普通はそうだとは思う)。だから父親から、ずっとライオンが欲しいと思っていたところにキリンが来た、どうする?と聞かれたとき、ボクはライオンを待つ、と答えて父親を心配にさせてしまう(それが麒麟だったらもう待たないかもしれないけど)。つまり現実の生活としては、相手の出方に合わせるだけで、積極的に関わるのでが怖くて相手のふところに踏み込めなかった。

でも、もう大丈夫、お互い、どうなるか分からないけど、今は相手が一番大切。その今を大切にして、与える人生を生きていけば、自分もきっと幸せになれるよ。ということで、ラストシーンは『天使のくれた時間』と一緒かな。これからどうなるかわからないけど、今は、二人の関係を大切にして生きていく方が人生は楽しいということ。

冒頭で、自分が泣いた理由がわかった気がする。自分の過去と照らし合わせているからだろう。こんな恋愛してたのに、という良き思い出、あるいは悔恨の涙。オリヴァー同様に、過去に囚われてしまっている自分に気づいた。

気になる台詞:You, point. I’ll drive.

アナをホテルまで送るとき、喋れないアナに道案内させるので、指で指し示すように言った。でもそれは、昔、母親と車に乗ったときに、母親が言った言葉だった。英語ではまったく同じセリフなのに、字幕も吹替もちがう言葉に訳されていた。母親は運転の主導権をオリヴァーに与えたのに、38歳のオリヴァーは指示されて運転していた。考えすぎ?

2010年 アメリカ映画

監督:マイク・ミルズ

出演:ユアン・マクレガー、メラニー・ロラン、クリストファー・プラマー

字幕:松浦美奈 吹替翻訳:日笠千晶