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関西二期会の《リゴレット》がとても良かった

関西二期会第95回オペラ公演:2022年11月26日(土)16:00~19:00 吹田メイシアター

開演30分前に会場に入ると、ステージの幕は開いていて、前回観た『ドン・ジョバンニ』の時と同じように、真っ黒の背景。細い白いストライプが正面と左右に垂れ下がっている。中央には大きなピラミッド状の階段。その頂に白いベッド。抽象的な舞台演出は好きじゃない。幕があくと上方から大きな額縁(向こうが透けて見える)が降りてきた。

『リゴレット』は、最近全然聴いていない。よく聴いていたのは10年ほど前。久しぶりに聴くリゴレット。

冒頭の宴会のマントヴァ公爵の歌声で、あれ、声が小さいと思った。気のせいかな、と思ったものの、リゴレットが歌いだすと、やっぱり公爵の声が小さい。歌声は美しすぎて、放蕩な権力者というイメージが弱い。エロスも感じない。ちょっと残念だった。しかしこのオペラはリゴレットが主役。

リゴレットの歌唱力と声量が素晴らしい。それに最初の宴会場面でのリゴレットの顔の表情の演技、とくに目の動きがいい。道化師という役目をわかりやすく演じている。そして第1幕を通して、ずっと歌いっぱなしなのに声量が落ちない。もっとも第1幕ごときで疲れていてはオペラを演じることはできないのだろう。さすがプロ。そして、リゴレットはずっと歌い続ける。第2幕の復讐の歌に期待が膨らんだ。

ジルダも声が美しい。清楚なイメージの柔らかくふくよかな美声と安定した歌唱力。ベッドに寝転んで仰向けで歌うときも変わらない。リゴレットとジルダの父娘の二重唱は、それぞれの持ち味が互いに呼応していて、実に魅力的だった。

それは第2幕の父娘の二重唱ですでに頂点に達した。二人の歌の掛け合いを聴きながら涙がでてきた。こんなことは初めてだ。CDやDVDで観たり聴いたりして感動しても、泣きそうになることはなかった。これがライブの醍醐味だ。歌手たちの気迫が会場全体に響き渡り、その空気振動が伝播して感動が生まれる。

第3幕前の休憩時間中に隣の席の娘さん連れのお母さんが、父娘のデュエットは良かったわ、と娘さんに感想を漏らしていたのに全く同感だった。

娘さんは小学2年生と4年生くらいの2名で、開演前にリゴレットのあらすじをお母さんが説明するのだが、大人の色恋にはふれずに上手に説明していた。公爵とジルダが恋人で父が反対し、ジルダは公爵に裏切られて、父が復讐をしようとするけど、間違えてジルダを死なせてしまうと。お母さんの楽曲に対する反応に共感して、隣にいてとてもいい気持ちになった。子どもたちはすっかり音楽に聞き入っている。素敵な親子。小学生の子どもと一緒に観劇するなんて、誰か出演者の知り合いなのだろうか。二期会の歌手に知り合いがいる小学生って恵まれているなあと勝手に想像していた。

父娘の二重唱に感動した直後、復讐の歌では、リゴレット の声量が落ちたのか、なぜか迫力をあまり感じない。この復讐を誓うことに今回の演出は重きを置いていないのだろうか。いやいや、オーケストラは迫力満点で大音量なので、決してそうではない。しかし、二人の歌声はオケの大音量にかき消されてしまった。オーケストラが張り切りすぎたのかもしれない。ここは怒りに満ちた迫力で感動的な歌なのに、残念だ。とても残念。一番期待したのに。

第3幕では、白い大きな額縁が破損したままぶら下がっていて、ストライプはボロボロになっていた。廃墟のイメージなのだろう。第1幕から第3幕まで、『リゴレット』を知っている人には演出の意図を読み取れるだろうが、隣の親子の小学生にとって、それぞれの場面がどのような場所で展開されていたのかを、この演出から知ることはできない。抽象的なステージが好きでない理由。

第3幕の見せ場は、四重唱と最後のリゴレットとジルダの二重唱。四重唱ではやはりオーケストラが大きすぎて歌が聞こえなくなった。オーケストラピットに近すぎるせいだろうか。全然歌が聞こえない。しかしそんなことよりリゴレットとジルダの二重唱は圧巻だった。公爵の「女心の歌」が聞こえてきたときのリゴレットの驚き方の演技は抜群で、会場からは笑い声さえ起こった。そして袋の中のジルダの顔を見た時の父の嘆きと、死にゆく中でか細い声で父の許しをこうジルダの歌が心に突き刺さるように悲しく響いた。

第1幕の愛が溢れて幸せそうな父娘の歌とは対照的に、とてつもなく悲しい二重唱。ジルダの声が消えゆくようにこのまま静寂になってほしいところ。とても感動した。ヴェルディには悪いが、最後の父の叫びとオケの大音響は不要だと感じた。ふと、ここで、実はヴェルディもリゴレットを嘲笑しながら作曲したのではないか、と感じた。しかし、この話は、現代的にみれば、他者に殺意を持ったものは、結局自分が一番大切にしているものを失うことになるという戒めと受け取る方がいいだろう。娘を失ったリゴレットがあまりにもかわいそうに思えた。そう思わせる歌だった。

最後にまた父娘の二重唱で大変感動したので、もし隣のお母さんが出演者の知り合いなら、そのことを出演者に伝えて欲しいと思っておもわず声をかけてみた。どなたかお知り合いが出演されていますか。残念ながら出演者の知り合いではなかったが、やはりとても感動したと仰っていた。

『リゴレット』は、映画『天使のくれた時間』のなかでニコラス・ケイジが「女心の歌」を歌うのだが、オペラの全曲知らないなあとおもって聴き始めたのだった。まずは、パバロッティのDVDから観た。ジルダはグルベローヴァ。どぎつい化粧のせいで、いくら歌がうまくても、映像を観てると少し気味が悪い。それ以来、美しいジルダを求めていろいろと探し回ったが、美貌のジルダよりも美声のジルダに落ち着く。となると、やっぱり歌はルチア・ポップが一番いいい。ただポップの『リゴレット』は1982年の録音で、彼女が44歳くらいのとき。20代のような若い張りがないのが残念だった。

しかし、今回のジルダは良かった。とても良かった。ポップの若い頃はこんな歌声だったかもと思ってしまった。

リゴレット役の大谷圭介さん、ジルダ役の周防彩子さん、ありがとうございます。お疲れ様でした。


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ホームベーカリー初心者が全粒粉100%パンに挑戦

先日ネパール料理店ズーズーダゥで食べた酸味のあるパンがとても美味しかった。調べて見るとサワー種ライ麦パンかも。なかなか売っていない。この間に家族の健康志向によって、グルテンフリーとか、白いパンは健康に悪いとか言い出したので、にわかにライ麦全粒粉パンをつくってみようという気になった。

そこで、長男が下宿を引き払ったときに持って帰ってきたホームベーカリー(0.5斤用)を取り出して、手づくりパンに挑戦。まずは、マニュアル通りに基本の食パンづくり。普通の強力粉、ドライイースト、無塩バターを買ってきて、分量をていねいに量って、でもスキムミルク・砂糖は入れない、というのでやってみた。あまり焼き色がつかなったが、スキムミルク・砂糖なしでも味は全然オーケー。塩味もほどいよい。焼き立てパンは美味しくて、ほぼ瞬時に全部なくなった。しかし、スタートボタンを押してから3時間50分。最初の60分くらいはこね回す音が大きくて、大迷惑だった。夜中にスタートボタンは押せない。翌朝食べようとおもったら、夕食食べ終わったらすぐにパン作りしなければならない。

2回目。バターの量を倍増。取説にはふっくら焼きたい場合の量ということになっている。たしかにやわらかく、ふっくらとなった。

3回目。レーズンを投入。投入量はマニュアル通りの分量(小麦粉の20%の重さ)にしたが、焼き上がり状態ではレーズンが少ない感じがした。

4回目。胡桃投入。納入時期をしらせるブザーを聞き逃したので、うまく具材がまざらなかった。パンの下の方に胡桃がかたまっていた。それでも胡桃パンがおいしい。胡桃を細かく砕く下ごしらえが面倒。

5回目。レーズン倍増。このほうがレーズンパンらしくなる。

6回目。砂糖を指定量投入。砂糖を入れてみて初めて分かったが、パンの焼き色は砂糖の量で決まる。カラメルや、カレーのルーをつくるときにタマネギの焦げ色は、糖が焦げた色。パンもしかりとあらためて認識。さらにイーストが砂糖をエサにしてより膨らむそうなので、よりふっくら焼き上がっている。

7回目。砂糖を指定量+レーズン。レーズンパン修得。

8回目。定量+バター倍増、スキムミルクなし。焼き色しっかりでふっくら。これで基本のパンづくりは修得。強力粉がなくなったので、次は全粒粉に挑戦。

全粒粉パン。ホームベーカリーの取説には、普通の強力粉と半分ずつと書いてあったが、基本のレシピの強力粉をまるまる全粒粉に置き換えてみた。こねてるときに強力粉ほど固まりになっていなかった。ひょっとしてと思ったら、購入した全粒粉は「半強力粉」とだった。しっかり確認してなかった。案の定、やっぱりそのまま膨らまずに、普段の半分の高さのまま焼き上がり。しかし、少し固めだけど、味、舌触りには満足。普通にふくらませるには、白い強力粉を半分混ぜ合わせるべきだが、全粒粉100%という当初の目的を達成できない。まあ、今回の全粒粉ではあまり膨らまなくてもいいか。

全粒粉は膨らまないけど美味しい

次はライ麦の全粒粉でサワー種つかって酸味のあるパンに挑戦する予定。

全粒粉のパンは、ずっと以前にハミルトン(ニュージーランド)での英語研修の付添いをしたときに、食べたサンドイッチが美味しかった。NZは外食すると高いが食材は安い。スーパーで乳製品や果物が安い。長期滞在なら食材購入して自炊に限る。ということで、スーパーで全粒粉の食パンを買ってきて、自炊の朝食とランチのサンドイッチに使っていた。これがとても美味だった。毎日ハムとチーズのサンドイッチだったが、病みつきになった。しかし日本に戻るとNZのような食材がない。スーパーに並んでいる全粒粉パンは、50%程度しかつかっていないことが多い。もっと濃い味の全粒粉が食べたいけど、おいしいぺーカリーは近くにないし、ちょっと高い。なら自分で焼くしかないかな、といったところ。

SDカード


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MontereyではSDカードに書き込みできない

macOS Montereyで(ビデオ)カメラ等でフォーマットしたSDカードを読み込むことはできるが、書き込みができない。

ディスクユーティリティでフォーマットもできない。アクセス権の所有者が「無効」になっていた。Catalinaでは読み書きできるのに。ネットで調べまくって、どうもOSのバグっぽいことがわかったが、2022-03のセキュリティアップデートで解決していることになっている。解決していない私の場合は、レアケースなんだろうか。どうしようもない。さいわいCatelinaが生きているから読み書きできるけど。

(5月16日配信のセキュリティアップデート2022-04でMonterey 12.4にしても解決できていない)

事の発端は、連休中にiMac (Retina 4K, 21.5-inch, 2019) を外付SSDからmacOS Montereyで起動するように設定したことから始まる。長男の長期不在中に借用したiMac-2019だが内蔵HDはBigSurだったので、どうせならSSD起動にしようと思った。まずは外付SSDに現行の iMac (21.5-inch, Late 2012) のCatalinaを移行。iMac-2019に接続してMontereyにアップデートという手順。

これまでBigSurも知らなかったので、かなり新鮮な気分。さっそく動画編集してみた。使用したビデオ素材のファイル形式はAVCHDで、これまで、これをiMovieに読み込むのは結構時間がかかってたので期待したが、iMac-2019で読み込んでも結構時間がかかって、かなりがっかりだった。

しかし同時並行して、iMac-2012で別のAVCHDファイルを読み込みしてみたら、なんと5〜6倍遅い(読み込み円グラフの進み具合)。こんなに遅かったっけ? 今までようこんなマシンで動画編集してたなって感じや、ははは。

今回の作業はYouTubeにアップするだけのカット編集なので、編集らしい作業はしていないけど、読み込みのレンダリングが速いということは編集作業のストレスを大幅に軽減することになるので、うれしい事実だ。

さて、iMovieで取り込んだ動画をYouTubeにアップするためにファイルに書き出したものの、今度はYouTubeでへのアップロードに時間がかかった。アップロード作業を並行しよとおもって、iMac-2019からiMac-2012にSDカードを通じてmp4ファイルを転送しようとしたら、なんとMontereyではSDカードへの書き込みができなかったのだ!

いろいろと調べまくった結果、「情報をみる」でアクセス権を変更するか、それでも治らなければセキュリティアップデート2022-03をあてると治る、とネットでは解決済みになっていた。しかしアクセス権変更できないし、ディスクユーティリティでのフォーマットさえできない。わがiMacは個体固有の個別の課題の超レアケースなのだろうか。こんな些末だが重要バグを放置してOS提供しているAppleにもだんだん慣れてきたけど、これはいただけない。

5月16日配信のセキュリティアップデート2022-04でMonterey 12.4にしたも未開解でした。

macOS Monterey は 12.4に


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チームジョイの「オペラ座のかい〜人」は凄いらしい

チームジョイの「オペラ座のかい~人」は凄いらしい、いやいやあ、凄かった。めちゃくちゃ楽しかった。

著名なミュージカルをベースにして、いつも楽しいエンターテイメントを提供してくれるチームJoyの第8回コンサートは『オペラ座のかい〜人』でした。2022年5月7日、吹田メイシアター。コロナ禍で順延順延となって、なんと2年半ぶりの公演でした。ビデオと写真を撮影しながら、楽しませていただいた。

自称ミュージカル風コーラスグループということですが、毎回、歌あり踊りありギャクありの楽しいミュージカルを上演してくれます。今回は『オペラ座の怪人』がベースになっていることはいうまでもありませんが、ファントムとクリスティーヌの圧倒的な歌唱力によって、本物ミュージカル顔負けの仕上がりでした。しかも脚本がギャグ満載なので、本家『オペラ座の怪人』を凌ぐほど、すっごく楽しかった。

私は映画の『オペラ座の怪人』のファンですが、映画を観るずっと以前にNHKで放映されたバートランカスターがオペラ座支配人役をしていたTVドラマ版も観たこともあります。映画以前にミュージカルは観たことがないし、劇団四季版も知らなかった。しかし数年前に、京都講演を天井桟敷席で観たが、どうも劇団四季版に感情移入できなかった。

その理由が、今ようやくわかっりました。これです。このnoteの記事に私が感じた違和感が語られています。↓

やっぱり劇団四季『オペラ座の怪人』の訳にちょっと言わせて欲しい

https://note.com/urmyviz/n/n7ace9175e4c7

この記事によると、劇団四季の歌詞の日本語訳が少し変なのだ。それは、たしか映画版でも字幕の翻訳が変で、ストーリーの理解を妨げる要因になっていたのと同じと思う。今回の「かい~人」は劇団四季版がベースなので、そこんところはどうしようもないだろう。

だから「かい~人」でも、理解しにくいのは、以下の点である。

クリスティーヌはファントムにオペラ座の地下に連れ去られ、そこで音楽の天使の正体がエリックだと知るが、エリックがなぜ地下で生活しているのかは知らない。一方、マダム・ジリーの話で聴衆はエリックの生い立ちが分かったが、クリスティーヌには分からないまま。そんなクリスティーヌが仮面をとったエリックの顔を怖がるのは当然。

さらに、次の公演(ジョイ版では「Lサイズの腹」)でカルロッタの声がカエルの声に変えられたり、シャンデリアが落ちてきたのがファントムの仕業と知って、ファントムに恐怖をいだき、ドンファンの勝利を演じたくないのも当然。

しかしドンファンの勝利を演じながら再び地下に連れ去られたあと、ストーカーと化したファントムを嫌がっていたクリスティーヌが、そのすぐ後になぜファントムを抱擁するのか、分からない。理解できない。ここはセリフでちゃんと説明すべきだなあと思った。

出演していた妻にきくと、ここらの歌詞やセリフ回しは劇団四季のとおりだという。ということは、今回のために脚本を変更したわけでもないので、ますますクリスティーヌの心情が分からん。それを説明してほしかった。

これは、あくまでも私見だが、クリスティーヌがファントムを抱擁する(映画ではキスする)のは、マダムジリーが旅芸人一座からエリックを救ったのと同じ、慈愛の精神、キリスト教的な愛によるものである。恋愛感情の愛はラウルに向けられているが、クリスティーヌには万人あえたえることができる愛がある。ファントムはクリスティーヌを通して、はじめてアガペーとしての愛を知るのである。

愛に恵まれずに育ったエリックが、人を愛するときに相手の幸せを願うのではなく自分の欲求だけが満たさればよいと考えるのは、ごく自然のこと。そのことにクリスティーヌが気づいて、キリスト教的な愛を、抱擁(あるいはキス)という形で示し与えたということだ。まあ、あの一瞬で気づくという設定には無理があると思うけど。

そして、そのことを理解するため、あるいは強調するためには、シャンデリア事件のあと(映画での屋上のシーン)で、オール・アイ・アスク・オブ・ユーを歌ったときに、それが求婚であること、そして馬車を呼んでというのが、ラウルの求婚を受け入れる返事であるということを踏まえて、聴衆に説明ししておかないといけないだろうと思う。

音楽の天使であったはずのファントムが嘆き悲しんで、ストーカーのドンファンへと変容するのはこのときだからである。

そういった脚本上の問題は、劇団四季版をベースにしている限り、しかたないことだったのだろうと思うと、そこだけが残念だった。

しかし、そんなことを感じさせないファントム(池田真己さん)とクリスティーヌ(中西千尋さん)の歌唱力を褒め称えます。演技もすばらしい。とくに中西千尋さんは、先日の『ドン・ジョバンニ』のドンナ・アンナ役の時より伸び伸びとリラックスした姿はとても良かったです。ブラボー、ブラバ、ブラビッシモ。

 


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《アイランド》は地球最後の楽園か

「シェルター・アイランド」の感想に「アイランド」は観たのに、あらすじ忘れた、と書いたので、思い出そうとしてAmazonPrimeで字幕を観てみたら、実は観てなかったことがわかった。たぶん予告編だけ観たのを全編みたのと勘違いしていたのだろう。

ユアン・マクレガーは、「スターウォーズ」のオビワンケノービの若かりし頃を演じたので、その印象しかない。最近「人生はビギナーズ」を観て、別の俳優としての別の一面を観で、スターウォーズの役者って損してるかも、と思ったものだ。

スカーレット・ヨハンソンはどこかで観た美人と思って検索してみると、「真珠の耳飾りの女」のモデルとなった女中役を演じていた。そうそう、あの映画、よく絵画のモデルそっくりな女優がいたものだ、と感心したが、この映画でみるとレンブラントの光より明るい色彩に映える美しい人だ。そしてよく走る!

いきなり、ネタバレですが、未来社会(といっても2019年、ネクサス6が反乱を起こす年)で、臓器提供や代理出産のためのクローンを製造する会社の牧場で、クローンが知性に目覚めて、そこから脱出するのが前半。後半はど派手な追跡格闘アクション。「アイランド」はクローン牧場のことではなくて、牧場で育てたクローンが屠殺場へと送られることを騙すためにつくられたウソの理想郷のこと。だから「アイランド」からの脱出ではない。どちらかというと「アイランド」からの逃避。

クローンが飼育されているのは、MacのCMの「1984」のシーンと同じような施設。しかしあれほど無機質・無気力で奴隷的な集団ではなくて、「アイランド」ではもっと個性的で人間的に扱われている。男女の恋愛以外、娯楽も結構楽しめる。

臓器提供の人間を育てるという発想は、カズオイシグロの「私を離さないで」と同じだ。イシグロは孤児で、こちらはクローン。そして人間を繭のような容器の中の水溶液で育てるのは「マトリックス」と同じ。2~3年で製造されるクローンにそれぞれの過去の記憶を植え付けるのは「ブレードランナー」。

リンカーンは、情報機器のメンテナンスをしているマックと仲が良く、ときどき会いに行っている。でも、どうしてマックとリンカーンはそのような仲なのか、それがよくわからない。

リンカーンは、マックと会いに行ったときに、虫を見つけて部屋に持ち込む。翌日、虫を逃がすために、同じところに戻って行って、今度はそこから梯子を上に登っていった。するとマンホールのようなフタにたどり着いて、持ち上げるとそれは廊下のタイル(45cm角くらい)。そんな建物の設計、誰がするの? あり得ないでしょう。

そこは、物語の展開上、きっとここでリンカーンが組織の秘密を発見するはずなんだから、じっと我慢して見守りましょう。

それにしても、いとも簡単に「アイランド」がウソだったことが分かってしまいます。さあ、これは大変、アイランド行きに選ばれたジョーダンは臓器提供のために殺される!と思ったリンカーンは、男子禁制の女子棟に猛スピードでダッシュして突っ走り、アイランド行きの準備をして部屋を出ようとしていたジョーダンの手を引き、逃げるんだと言って駆け出すのだった。

この二人、格闘ゲームで互角に戦う戦士で、身体能力が優れている。体力もある。走る走るひたすら走る。ひたすら走るのを観るのは気持ち良い。

追跡シーンは、どんどんエスカレートして、これまたすごい迫力のカーチェイス。敵の空中バイクを奪取して、バイク運転初心者のハズが、めちゃくちゃ上手に乗りこなして敵から逃れる。

2019年のロサンジェルスは、酸性雨が降りしきるでもなく、大きな電光掲示板の広告があるわけでもなく、大きな飛行船がコロニーの宣伝をしているわけでもなく、屋台の親父が二杯で十分なうどんを売ってるわけでもなかった。超高層ビルの合間に見える明るく晴れ渡った空を縫うように、空中ケーブルカーが縦横無尽に走るなか、空中バイクとでもいうべき、ジェットエンジンみたいなを搭載したバイクが空を駆け巡ることができるのに、普通の車が道路を普通に走っているのだ。

普通の車でもいいけど、せめて、攻殻機動隊のように全交通システムは中央制御されているとか、どうせなら「マイノリティ・リポート」のようなホバー系の車が走ってて欲しい。「ブレードランナー」のスピナーだって飛行自動車だよ。

そしてきわめつけは、追跡のメインは、なんと普通の高速ヘリコプター。未来の乗り物がほんともう支離滅裂、ご都合主義でめっちゃ楽しい。

詳しい筋書きや伏線なんか無視して、その場その場のシーンを楽しめる映画。見終わったら気づくでしょうが、富裕層のあなたは、きっとドッペルゲンガーに会うに違いありません。

2005年、アメリカ
監督;マイケル・ベイ
主演:ユアン・マクレガー(リンカーン)
   スカーレット・ヨハンソン(ジョーダン)