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映画『メッセージ』を観た

映画『メッセージ』(原題:Arrival)を観た。宇宙から飛来した物体に関するSFということ以外は、一切の予備知識を持たずに観た。だから最初、SFとしては、冒頭のシーンは要らないと思った。人の記憶(メモリー)の話。記憶としての我が子の誕生から不治の病での死までが短時間の映像で語られている。実に切ない。

記憶とは奇妙なもので、自分が思うように思い出せないことがある。私たちは時間に縛られ、順序に縛られているのだ。
Memory is a strange thing.
It doesn’t work like I thought it did.
We are so bound by time, by its order.

映画『チョコレートドーナツ』の冒頭のシーンは、2回目に観たときに、そのシーンだけで涙が出てきた。結末を知って観ると同じシーンでも感じ方が異なる。「チョコレートドーナツ」(原題: Any Day Now)にしても「メッセージ」にしても、邦題が良くない。何が「メッセージ」なのか。

この映画も同じだった。この映画全体が一度観ただけではよく分からない。必然的にもう一度観ると、冒頭のシーンで泣けてしまう。

原作は「あなたの人生の物語」(Story of Your Life)ということも知らなかった。
だから映画の最初の台詞は、原作のタイトルでもあることを知らなかった。
I used to think this was the beginning of your story.
これが あなたの物語の始まりだったと思っていた

そしてこの台詞があるから記憶に関する台詞は失った子どものことであると思わざるを得ない。
しかしそれにしても、赤ちゃんの横顔が『2001年宇宙の旅』のスターチャイルドに似てないか?
欧米人の赤ちゃんはみなそのように見えるとしても、この横顔の取り方はスターチャイルドを連想させる。

その赤ちゃんを助産師の手から自分に戻して欲しいという台詞が、
Okay. Come back to me. Come back to me.
なのだ。

それは、不治の病での死んでしまった我が子の傍らに泣き崩れるときと同じ台詞である。
すでにこのときに死を予兆しているシーンだということが2回目に観たときに分かる。
だからもうここで泣けてくる。

そして、子どもと一緒に遊ぶ姿に涙してしまう。

なぜなら、この子の人生が、この映画のストーリーに重要な鍵を握っているからだ。

この子が母に聞いた問の答えがとっさに出てこなくて、父に聞いてと応じたあと、思い出したように出てきた言葉が、ノンゼロサムゲーム。ノンゼロサムゲームの意味が分からなかったが、劇中で娘が説明していたのことによると、取引で両方が利益を得るような意味の言葉。競技みたいだけど両者が勝利して終わる。母がWin-Winかというと、もっと科学的な、という。

ノンゼロサムをあとで調べると、日本語では「非ゼロ和」と訳されている。ますます分からない。ゲーム理論に出てくる考え方で、得する人がいればそれに応じて損をする人がいて、合計すると均衡していること、つまり勝ち負けの白黒をはっきりさせることがゼロサム。そうでないこと、つまり誰か得をする人がいても、それに応じて損をする人がいる訳ではないということがノンゼロサム。状況としてはいろいろな価値観が混在してある一つの価値観だけでは白黒が区別できるかもしれないが全体としてははっきりと判別出来ない状態で総和としては得をしている状況かと思う。

これは映画がうったえている重要なキーワードである。SFというのが楽しいのは、SF的に神の領域に関わることができるからかもしれない。異星人が地球に来たの理由は、言語学者の解釈では3000年の未来における彼らの危機を地球人に救ってもらうためである。その異星人の時空の扱い方がすでに人類を超えた神のような存在なのに、3000年未来では人類が必要とされる意味がよく分からないが、言語学者が獲得する能力は神の領域であり、全地球規模でノンゼロサムゲームを実践させることが出来たのも神の領域ではないか。

「この子は誰?」
突然、この映像(記憶)が過去のものでないことが分かる。

「夫が去った理由が分かったわ」
「結婚してたのか」
ようやく未来のことだと分かる。
自分の未来が過去と同じように記憶として現れて現在の思考に影響している。
が、夫はこの時点でそれを知らない。

「あなたは妻の最後の言葉を語った」
中国の将軍に電話しなければならないという思いだけで電話したものの、何と言えばいいか分からないときにその将軍が語った言葉を思い出した。

SF的に考えると未来を予見することができからこそ出来た偉業とも言えるが、日常的な状況で未来におこることを過去に経験していることはあり得ることではないだろうか。

だから、思い出したのではなく、思いついた、ひらめいたのである。
たまたま彼の妻も同じ考え方だった。だから将軍が聞いたのは妻の平和への思いだった。しかもそれまでは無視してきた言葉を他人から直接言われただけで信じてしまうのはちょっと飛躍があって説得力がない。

たったそれだけの個人的思考が、全人類を救う行為へと移行するきっかけになるとは、ちょっと安易な結末ではある。

ついでに言うと、異星人との会話を試みるときに、言語学者が「英語」を使ってコンタクトしようとしたことは笑える。ホワイトボードにHUMANと書いて、自分のことを指さしている。この場合、言語学者としては、言語学的に理解しやすい体系をもった言語を用いるべきで、それが英語であるとは思えないので、安直さを感じる。

ともあれ、もう一度、冒頭のシーンを観たときに、この映画が伝えたい「メッセージ」がそこにあることがわかる。全てを知って、知っているとおりにそのことを受け入れて、同じ体験していくことが人生なのである。

成功哲学では、成功しているイメージを強く持つことが、それを実現するために必要であると説く。明確で強く、リアルなイメージを持つことが大切。それはつまり未来からみた過去の自分を記憶から取り出すことと同じであるということかもしれない。

原作を読みたくなった。